2015年12月9日

明治後期のリアルな日本滞在記がおもしろい

NHK朝ドラの「あさが来た」が面白いのではまって見ています。
明治・大正が舞台だとハズレがないですね。

ずいぶん前に古本屋でこんな本を買って、読まずに放置していたんです。

ゴードン・スミスのニッポン仰天日記

明治31年~40年頃にかけて日本に滞在したイギリスのナチュラリスト、
リチャード・ゴードン・スミスさんの日本滞在記です。
1980年代に入ってからお孫さんが発見されたものを、
荒俣宏さんが翻訳して解説付きで本にされたものです。

ちょうどあさのモデルの広岡浅子さんが活躍していた頃の話だ、
と思い読み始めたら、これがめちゃ面白い!
あっという間に読んでしまいました。
計算すると、この頃広岡浅子さんは50歳前後だということになります。

写真や絵師に書かせた挿絵がたくさん載っているのでイメージも湧きやすいし、
お得感があります。(中にはさらし首の写真なんかもあってびっくり!)
この本、元々図書館で所蔵されていたものが除籍になったもののようなんですが、
こんなに面白い本がなんで除籍になったんだろう、と不思議な気持ちです。


▲右上の写真にゴードンさんがいます


日記の作者、ゴードン・スミスさんとは・・・

まず、この日記を書いたゴードンさんとはどういう人だったかというと、
イギリスの富豪で、あちこち旅行しては狩りをしたり、
珍しいものを集めて回ったりしていた人で、
日本に滞在中は、大英博物館からの依頼で、
珍しい生き物を採取して送るという作業をしていたようです。

この頃の日本には、西洋からの旅行客がたくさんやって来ていて、
神戸や横浜の様式ホテルは西洋人で満員となる賑わいだったんだそうです。
少し前に書いた、イザベラ・バードもこういった人たちの一員だったんですね。

不思議の国のニッポンに魅せられたゴードンさんが、
二度に渡る日本長期訪問中に起こった様々な出来事が日記につづられています。
博物学者らしく描写が細かいので、とてもリアルに伝わってきます。
「日記」というところがポイントで、提出用の資料などとは違い、
見て、聞いて、感じたことがとても素直に書かれているのでおもしろいのです。
思ったことを包み隠さず書いてあるので、
日本人として、思わずムッとするような記述もたまにあります(笑)
日本に魅せられたと言っても、たまにおられる日本人になりたい外国人と違い、
アングロサクソンであることに誇りを持っていた人だったと思います。
上述のイザベラ・バードさんもそうでしたが、
ちょいちょい上から目線な雰囲気を感じます。


日記は明治31年にこんな感じで始まります

十二月二十四日 土曜日 しののめ、ナガサキ・ハーバーについた。とうとうニッポンだ。この国を見ずに死ねるか、と思っていたら、願いがかなった。(中略)石炭船がぞろぞろくると、空想の日本がとたんに現実になる。(中略)上陸して驚いた、さすがはナガサキだ。ジャパニーズハウスがノルウェイやカナダのものになんとよく似ていることか。だが内部がまるで違う。なんと清潔なんだ!まったくほんとうに奇跡の清潔さだ。
P25


ここから瀬戸内海を通り、神戸に到着後、横浜へ向かっています。
途中、こんな下りがあり、テンションが上がりました。
日本の大銀行家ミツイ氏が、トーキョーにきたら晩餐をごいっしょにどうですかと誘ってくれたので、食事が純日本ふうならうかがうと約束した。
P28
このミツイ氏とは、きっと、あさのモデルの広岡浅子さんの実家の誰かですよね!
ゴードンさんは、このミツイ氏のことを、完璧な日本人紳士と、絶賛されています。



ゴードンさんの日本仰天体験ツアーが始まります

興味深い記述がありすぎるのですが、
数カ所に絞ってピックアップしていきたいと思います。
女性の髪形は注目に値する。毎日結いあげられるとは、とても信じられない。むしろ、自由にかぶったりはずしたりできる、一種のヘルメットの変形にちがいない。既婚と未婚の女性では髪型がそれぞれきまっているいうが、いまのところ、私にはどっちがどっちなのか見わけられない。
P33
これは現代の日本人も抱く疑問ですよね。

夕食のあとで、異常な事態がおこった。ホテルの窓が開けはなたれ、炉火がかき消され、きれいにかたづけられて、大々的なごみ掃除がいたるところでおこなわれたのだ。
P51
異常な事態”がおこったと。(笑)これは大晦日の日記の一文なのですが、
確かに全国民が一斉に掃除をするって、国外の人から見れば異常事態かもしれません。
こんな風に、今でも当たり前のように続いている習慣も載っていました。


そしてお正月の日記へと続きます。
あちこちでおこなわれるあいさつやおじぎや儀式を見るのは、本当にとても楽しいことだ。ゲイシャたちは争って人力車に乗り、自分たちの器量をみせびらかしてあるくのだ。ただ小さな子供たちがまっ白なおしろいを塗って、赤い口紅をつけているおぞましい姿は不快だった。もっとも、彼らの衣装は色彩に関するかぎりは豪華絢爛だった。シャミセンのチリンチリンという音がとぎれなく聞こえ、ここかしこに太鼓の音がしていた。
P55


今ではすっかり見られなくなってしまった日本のお正月です。
日本のお正月に触れて楽しそうなゴードンさんですが、
本の最後の方に載っている、ここから7年後の日記では・・・
新年、とくに日本での正月は、私にとってはすこしも喜ばしい日ではない。なにもかも、誰もかれもがはめをはずし、不愉快である。
P300
こうなっちゃうんですよね。何があったんでしょうか。

お正月は関係ないですが、ちょっと驚いたのがこの部分。
トーキョーのにおいは、私がこれまで他のどんなところで嗅いだにおいよりも強烈だ。たとえば悪臭で名高いあのナポリと比較しても、トーキョーがどれほどひどいところか。
P66
夏場ならまだわかるんですが、1月5日の日記なんです。
このころの東京はそうとう臭かったみたいです。
ようやく下水が整備されはじめた頃のようなので、
まだ至る所に汚水が溜まっていたんでしょうか。


日本女性絶賛のゴードンさん

ところで、ゴードンさんは相当な女好きだったようす。
祖国で離婚問題を抱えていたということで、祖国の女性にうんざりしていたのか、
日本女性を絶賛しています。きっとちやほやしてもらったんでしょう。
あの女性が美しかった、あの少女がかわいらしかったと、あちこちに書かれいます。
実際、くどかれて(か、どうかわかりませんが、)
ゴードンさんに本気になってしまった女性も登場します。
確かに、挿絵の写真を見ると、女性はみな美しく見えます。
でもよくよく見ると、特に美人というわけでもないような・・・
おそらく着物マジックですね。



日本人女性はもったいない習慣をやめてしまいましたよね。
けど、毎日帯締めて、髪結って過ごすなんて、とても無理ですけどね。

それに比べて、日本男児に対してはさんざんです。
この国ではひとりとしてかっこいい男を見かけない。
P39
まったくひどいです。


大阪に関する記述もありました

大阪は当時から派手だったようです。
オオサカは飛躍的に開発されたように思う。交番はきれいで、いたるところにある。ゴミはなく、いくつかの通りには快適な雨よけがついている。とくにシンサイバシ通りの外観は、日本にしては非常に明るく派手である。
P221

▲右の絵、『大阪、心斎橋通り』というキャプションがついています


鳥羽の海女さんに魅了される

興味深い場面が多すぎて、まったく書ききれないのですが、
びっくりした、というか、感動したのが、鳥羽の答志島の海女さんに会いに行く場面で、
そこに掲載された海女さんと漁師さんの集合写真がすごいのです。
老若男女すべての人が、真っ黒に日焼けした上半身をあらわにしていて、
隠す様子もなく堂々と撮られているのです。
それが、エロティックな雰囲気なんて微塵もなく、
生命力に溢れていて、なんだか格好いいのです。
これがつい100年前の日本だとは。カルチャーショックです。
ゴードンさんは、ここの人たちにすっかり魅了されてしまったようでした。





日露戦争時の日本の様子

本の後半に入ると、日露戦争に関する話がちらほら出始めます。
日露戦争があった明治37年から38年にかけて、
ゴードンさんはちょうど日本に居合わせているのです。


今日の新聞報道にはまいった。ロシアのバルチック艦隊が大急ぎでスエズ運河をぬけようとしているので、北へむかうすべての商船は、ロシア艦隊が運河を離れるまでスエズで待機しなくてはならないという。
P267
朝刊に、戦争に関するさらにくわしい情報が載っていた。私は世界史上類を見ない二百三高地の攻撃を、日本人の立場から考えるべきだろう。バンザイと言おう。悲惨な生命の損失も、勝ちえた有利な条件によってたちまち報いられることだろう。
P274
街はいま、とてもおもしろい。戦争帰りの兵士たちでごったがえしていえる。日中に、列車何台分ものロシア人捕虜たちが到着した。だいたい500人から700人といったところだろう。彼らはコウベ駅で列車をおり、ミナトガワへむけて街を練り歩いた。(中略)彼らに対する日本人の態度は平静で礼儀正しく、寡黙であり、みんなで街を通る彼らをじっと見守っていた。ロシア人は歩きながら、サヨナラ、サヨナラといっていた。
P289
こういった記述があり、興味深いです。


最後に、ちょっと意外だった部分。
私はますます、日本は、最高水準の理想の社会から最低のところまで堕落するにちがいないと確信するようになった。日本はやがて、アメリカの道徳や自由を取り入れ、質の良し悪しはともかくとして商人の国になるだろう。(中略)日本はやがて社会的にも商業的にも、巨体なシカゴのようになるだろう。そうなればなるほど、あわれである。
P322
資本主義の国の富豪がこんなことを言っているのですよね。
ゴードンさんから見たら当時の日本は最高水準の理想の社会に見えたらしいです。
こればっかりは当時の庶民の意見を聞いてみないと何とも言えませんね。

本は、明治40年、ゴードンさんがイギリスへ出発する直前に、
旭日小綬章を授けられたところで終わっています。

日本に滞在中から脚気やら何やら病気を抱えていたゴードンさんは、
それから11年後、60歳で亡くなられたそうです。



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