2015年10月26日

人生観が変わる、キューブラー・ロス博士の『ライフ・レッスン』

ある本のレビューからこちらの本にたどり着きました。
図書館にあったので借りてみました。



終末期医療の先駆者である、エリザベス・キューブラー・ロス博士が、
死の淵にある人たちに寄り添い、励まし続ける過程で学んだことがまとめられていました。

私は元々気が小さくて、何かと取り越し苦労をしてしまうタイプなのですが、
40代にさしかかった今、突然不安感に襲われてどうしようもなくなることがあります。
もうこのまま子どもを授かれないのかな、とか、
一人ぼっちで長生きしてしまったらどうしよう、とか、
考え出すと止まらなくなってしまい、ネガティブスパイラルに陥ってしまいます。
そんな今、この本に出会って、ざわざわしていた心が、すーっと落ち着くような気がしました。

この本に載っているレッスンは全部で15あるのですが、
中でも『時間のレッスン』『恐れのレッスン』『明け渡しのレッスン』にとても救われました。

引用したい箇所はありすぎるのですが、全部書いていられないので、
特に印象に残った箇所を、覚書を兼ねて載せておこうと思います。

■『「ほんものの自己」のレッスン』より
そう意識しようがしまいが、人間はみな答えを求める者であり、人生のレッスンを学ぼうとしている者である。人間は恐れや罪悪感と格闘している。意味を、愛を、力をもとめている。恐れを、喪失を、時間を理解しようとしている。自分が何者であり、どうすれば真の幸福が手に入るかを模索している。
P15
レッスンを学ぶことは成熟していくことにやや似ている。とつぜん幸福になったり、力がついたり、裕福になったりすることはないが、周囲の世界にたいする理解が深まり、自分自身とのおりあいがつけやすくなる。…(中略)…「不完全な人生を大いに楽しむようになった」といった男がいたが、これはそういったたぐいのものである。
P16
どんな状況であれ、最悪の事態に直面したときに、人間は成長する。状況が最悪になったときにこそ、最良のものをみいだすことができる。
P18

■『時間のレッスン』より
過ぎたことや未来のことばかり考えてもしょうがない。
今この瞬間を生きろ、ということが書かれています。
変化とは慣れ親しんだ状況に別れを告げて、不慣れな状況に直面することである。あたらしい状況そのものにではなく、そこにいたるあいだの時間に不安を感じることもある。…(中略)…変化に抵抗しようとする人は、自分の人生そのものに抵抗していることになる。必要なのは変化に乗じること、少なくとも、変化をうけ入れることである。
P141
きのうの自分がきょうの自分を無条件に規定しているわけではない。それに気づくことのなかに、すばらしい自由がある。みずから過去に縛られる必要はどこにもないのだ。
P146
わたしたちは、ともすれば未来になにかを託しがちになる。未来に住んでいる人、未来を夢みている人、未来を恐れている人がいる。自分を現在から遠ざけている人たちだ。
P148
われわれの努力目標はこの一瞬をじゅうぶんに経験することにあり、それはじゅうぶんにやりがいのある目標である。この一瞬のなかに幸福と愛につながるすべての可能性があり、未来はこうあるべきだという期待のなかにその可能性を埋没させてはならない。
P151

■『恐れのレッスン』より
失敗を恐れてあれこれ悩むより行動してみよ、ということが書かれています。
恐れのない世界。信じられないかもしれないが、人生にはわれわれの経験をこえることがたくさんある。恐れがなくなったとき、可能性は一気にひろがる。
P154
恐怖は、原始的なレベルでは、有用な警報システムである。…(中略)…しかし、じっさいには危険が存在しない状況でも、恐怖を感じてしまうばあいがある。リアルな恐怖心ではなく、つくられた恐怖心である。怖いという感情はリアルなのだが、現実にはなんの根拠もない。にもかかわらず、不眠やひきこもりの原因にさえなることがある。
P154-155
人生がわたしたちにあたえるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、いきなりやってくる。恐れが死の進行をとどめることはない。恐れがとどめるのは生の進行である。
P157
人生に不安や懸念はつきものである。しかし、多くのばあい、怖がって消極的になるよりも行動をおこし、その不安や懸念の背後に隠れているものに対処するほうが、ことはうまく運ぶ。
P163

■『忍耐のレッスン』より
何かを変えようとして変わらなかったら、それは変わらないものだとかんがえたほうがいい。ものごとのプロセスと展開にたいして、信じてみることをこころがけたほうがいい。人間は事態を変えることが必要だとおもいこんでいるが、この世でおこるもっとも驚異的なことの大半は、だれの助けも、協力も、干渉もなしに、おこるべくしておこっている。
P218
経験する事態はことごとく、苦汁をなめたり、煮え湯をのまされたりする経験の対象もふくめて、その人をあたらしく生まれ変わらせるために生じている。
P219

■『明け渡しのレッスン』より
自分ではどうにもならないことは神様にお任せしよう、ということが書かれています。
手を放すということは、ものごとがこうなるべきだとするイメージをすて去り、宇宙がもたらしているものをうけ入れることである。・・・死の床にある人たちは人生をふりかえって、そのことを学ぶ。「よくない」状況がけっきょくはよりよい結果につながり、「いい」とおもっていたことが、かならずしも最良ではなかったことに気づく。
P226
ではいつ明け渡せばいいのか?…(中略)…変えられることで、あなたにそれを変える力があるときは、変えればいい。変えられる状況かどうかを判断する目がたいせつなのだ。人生には、大波にのみこまれたときのような、自分ではどうしようもない自体に巻き込まれるときがある。受容し、自分を明け渡す必要があるのは、そのようなときである。
P236
安心できないとき、それが明け渡すときだ。
いきづまったとき、それが明け渡すときだ。
自分はすべてに責任があると感じたとき、それが明け渡すときだ。
変えられないことを変えたいとおもったとき、それが明け渡すときだ。
P236
ものごとをむりにおこそうとせず、ものごとの進行に身をゆだねることは、自分自身にあたえるすばらしいプレゼントである。これまでの人生をふりかえってみるといい。最高の瞬間、最大のチャンスは、その実現に悪戦苦闘していた願望からではなく、おもいがけないところからきたのではないだろうか?それは、そのとき、その場所でしかおこりえないような、幸運な偶然の産物のようにもみえる。
P237

■『幸福のレッスン』より
幸運になるか不幸になるかは、周囲でおこることによって左右されるのではなく、おこることにどう対処するかによって左右される。おこっていることをどう解釈し、どう了解し、こころにどうとりこむかが、その人の幸福を決定するのだ。
P257
不幸への最短経路は、ものごとを比較することにある。自己と他者を比較しているあいだは、けっして幸福にはなれない。
P258
ところが幸福は、だれと比較することもなく、自分の過去やありうべき未来に照らしあわせたりすることもなく、いまここで、ありのままの自分を「これでよし」と感じるところからやってくるのだ。
P259

キューブラー・ロス博士は、晩年ご自身も脳梗塞で半身不随になり、
何年も不自由な生活を強いられた後亡くなりました。
半身不随で人の手を借りないと生活できない状態になってしまった後、
態度が豹変してしまい、かなりバッシングされたようです。
数年前NHKで特集されていたものが、Youtubeにアップされていました。



この動画を見た上でもう一度『ライフレッスン』をしっかり読み直してみると、
不自由な生活に怒りを爆発させ、忍耐を強いられてうんざりしている様子が、
包み隠さず書いてありました。
偉大な博士といえども、学びの途中の一人の人間だったんだなと思いました。


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