2016年12月2日

難しい人生訓より、みうらじゅん

みうらじゅんさんの『マイ仏教』を読みました。



「マイブーム」や「ゆるキャラ」の人ですが、意外にちゃんとした人なんだなーと思いました。
ただの仏像マニアな人だと思っていたのですが、本当にお坊さんを目指して仏教系の中学・高校で勉強された人なんですね。

おもしろかったです。笑えたし、ためになりました。
おっ!と思ったところをいくつかピックアップしてみました。

■「自分探し」について
仏教では、「無我」つまり「本当の自分」なんてものはない、ということを二千五百年前から説かれているのです。
私は、「自分探し」よりむしろ、「自分なくし」の方が大事なのではないかと思っています。
(P.93)

■「機嫌を取る修行」
「機嫌」という言葉は元々仏教用語なのだそうです。
家庭でも恋愛でも、人間関係がうまくいっていないときというのは、得てして相手の機嫌を取ることを怠っているときです。
(P.136)
「相手のことを思って行動する」のは、人間関係の基本です。相手の機嫌をちゃんと取って、「ご機嫌」になってもらえば、回り回ってこちらの「機嫌」も良くなります。
(P.136)
そのようなとき一番いけないのは、「何でこの俺がそんなことをしなきゃいけないんだ」というものです。
(P.139)
つまり「機嫌を取る」=「自分なくし」なのです。
「何で俺が」をやめて、相手の機嫌を取ることを考えた方が、人間関係がスムーズにいくことは明らかです。しかしこれは大変な「修行」です。けれど、人に喜ばれることは間違いありません。
(P.142)
難しいのは、「機嫌を取る」ふりをしながら、ひそかにキックバックを求めてしまうことです。
(P.145)
残念ながら人間は弱いもので、どうしてもキックバックを求めてしまいます。しかし「ご機嫌界」では、「修行が足りない」ということになってしまうのです。
(P.145)

実行すると・・・
世界平和までは無理でしょうが、「周囲の平和」ぐらいまではかなり実現できると思います。
(P.145)


■「自分探し」が行き着く先
年を重ねると、自分はたいした奴じゃないという自覚が強くなってきます。
(P.151)
結局、「自分探し」が行き着く先もここです。思っていたよりたいしたことのない自分を見つけてしまう。
(P.152)
必死になって自分を探した結果が、「たいしたことない」では浮かばれません。そんな徒労を重ねるよりは、早く「自分をなくす」方法を身につけた方が、他人の機嫌も取れるし、回り回って自分も得をします。
(P.152)

確かにみうらじゅんって、テレビで見仏記なんかを見ていると、「俺が俺が」感もないし、周りの人を絶対に嫌な気持ちにさせない人という感じがします。
根底にこんな仏教の心があったのですねー。
私もそんな風になりたいです。
けど、自分を押し殺して相手の機嫌を取り続けるというのは、なかなかの苦行ですね。。


■辛い時や不安になった時は
私はどんな辛いときも「そこがいいんじゃない!」と思うようにしています。
(P.174)
先ほど、言葉が脳を洗脳していくという話をしましたが、「そこがいいんじゃない!」と唱えることで、段々とその対象を好きになっていきます。考え続けて苦しい状態も少し楽になってきます。
(P.175)
また同じように私は、「不安タスティック!」という言葉もお薦めします。不安というのは突然やって来ます。その瞬間、「不安タスティック!」と唱えれば、少しは楽になるかもしれないと思って、実践するようにしているのです。
(P.177)

辛い時や不安な時は、あれこれ考え始めて堂々巡りになる前に、「そこがいいんじゃない!」「不安タスティック!」と言ってしまうと、もはや邪念の余地がないということですね。実際に声に出すと、ちょっとアホらしくもなって気が抜けますしね。これは是非実践しようと思います。

いい本に出会えました。

みうらじゅん
新潮社 (2011/5/14)
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