2012年8月21日

電車で高野山に行ってきました。

先週友人と涼を求めて高野山へ行ってきました。
2年前に夫と車で行ったことがあって、道も良かったし意外に近いな、と思ってたんですが電車だと遠かったです。。

10:02難波発の快速に乗る予定が、事故の影響で30分ほど遅れていて、
極楽橋に着いたのは12:00前ぐらい。

特急券代をケチって快速で行ったので、途中から各駅停車になり、結構ダレました。
乗っていた車両と隣の車両内の、海外からの観光客率が高くちょっと驚きました。
フランス、スペイン、中国(台湾?)、韓国、と国際色豊かでした。


極楽橋からケーブルカーに乗り換えて高野山駅へ。
結構急勾配だったのでビビリな私にはちょっと恐かったです。


上からケーブルカーが~(@Д@;


数分で到着し、高野山駅の小ささに驚きつつ、
バス1日乗車券を購入後バス乗り場へ。
奥の院駅行きに乗車後、とりあえず食事ができそうな千手院橋駅で下車してみました。

食堂っぽいお店で腹ごしらえ後、高野山真言宗の総本山金剛峰寺へ。
パンフレットによると、豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立し、その後再建されたものだそう。





襖絵や豊臣秀次が切腹した「秀次自刃の間などを拝観しました。
この秀次自刃の間」にまつわる話が霊宝館のサイトに載っていました。
http://www.reihokan.or.jp/yomoyama/various/kongo/willow/hide.html
24歳で関白になり、そのわずか二年後には、一変して高野山で切腹しなければならない境遇におちいった、とあります。
謀反の疑いを掛けられたことが原因のようです。
気の毒だ・・・

主婦だからか、一番印象深かったのは台所でした。
3つで2000人分のご飯が炊けるという大釜と大しゃもじがインパクトありました。

お寺の前で、こうやくんの顔出しパネルを発見。

子供用だったけど無理やり撮ってみました。


金剛峰寺を後にして根本大塔へ。


でかいです!人が虫のようです。

昭和12年に再建されたとのことで、外も中も色鮮やかです。
中は壁から柱から極彩色に彩られていて、別世界に迷い込んだようです。


根本大塔の周辺をぐるりと回った後、
お守りなどを売っているところで衝撃的なものを発見。


大根とにんじんとサツマイモが立っている!

こんな風に立っているお供えは初めて見ました。
切り口がシャープです。
どんな意味があるんでしょうか。興味津々。
調べてみたけど、よくわかりませんでした。
ただ、同じような疑問を感じている人がいるということと、
祀られている聖天様は大根が好物、ということがわかりました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1244344367
横の販売所のお坊さんに聞いてみたらよかったな。

ここでもこうやくんパネルを発見。
至るところにいます。なかなかかわいいので記念撮影。




さて、バスに乗って奥の院へ。
本来は一の橋口というところで降りて、
そこから2kmの参道を通って御廟まで行くのが筋のようですが、
辿り着く自信がなかったので奥の院前までバスで行ってそこから歩きました。

公園墓地を通って参道へ入ったのですが、
この公園墓地がかなり個性的なのです。
2年前に初めて目にしてたまげたのが、
日本しろあり対策協会によるしろあり供養のお墓。
石碑に「しろあり やすらかにねむれ」って書いてあります。
友人はびっくりして写真撮ってました。
他にも、有名企業の供養塔(?)とか愛犬の墓などもあり、
不謹慎かもしれませんが楽しめました。

参道に入ると、鬱蒼と茂る巨木に囲まれた一面苔だらけの世界でした。
ちょうどお盆だったのでかなり賑わっていましたが、
一人で歩くとゾクっとしそうなところです。
特に徳川家康の次男、結城秀康のお墓が、一面の苔と朽ちかけている感じがおどろおどろしかったです。
国の重要文化財に指定されているらしいのですが、とてもそんな風には見えませんでした。

しばらく歩いて御廟橋に到着。
ここから先はカメラ禁止です。




『この橋を渡ると弘法大師空海御廟への霊域に入ります。先ず、橋の前で脱帽、服装を正し清らかな気持ちで一礼し橋を渡って下さい。』

右手には水掛地蔵さんが並んでいます。


いざ弘法大師御廟へ。
橋を渡ると目の前に灯籠堂があります。
階段を上がって中に入ると、暗闇に灯るたくさんの灯籠とお経の声が何とも幻想的。
灯籠堂を出て裏手に回ると御廟がありました。
空海さんはここで即身仏になられたんですか。
(諸説あるようですが・・・)


奥の院前のバス停まで戻り、最初に降りた千手院橋まで戻ってきました。
結構疲れてきた・・普通の靴で来てしまったし・・
次どうしようか・・・と標識を見たら女人堂まで0.7kmと書いてあります。
700mぐらいなら、と女人堂へ向うことに。

しかし、歩けども歩けども辿りつく気配がありません。
ほぼ無言で坂道をトボトボ歩いていたら、やっと「女人堂」の文字を発見。。


振り返ってみました。この道を歩いてきたのか。
もう少し元気だったら涼しくて気持ちよかったかも。

そして、女人堂は閉まった後でした。。。。

がっくし。

パンフレットによると、
明治5年まで女人禁制であった高野山へは女性はここより山内に入ることが許されず、細く険しい女人道を通って大師御廟へお参りをしたんだそうです。


お堂の向かいのバス停横に「弁天岳へ」の標識が。



南海電鉄のサイトにあったハイキングマップのPDFで調べてみたら、
ここから弁天岳を通って奥の院前へ抜ける「女人道モデルコース」が載っていました。
http://www.nankai.co.jp/odekake/hiking/bochibochi/nyoninmichi/pdf/map.pdf

ちょっと興味津々。いつか行ってみたい。

ここから高野山駅までバスで戻り帰途につきました。
電車内は冷房で凍えるような寒さ。
1時間40分、震えながら何とか難波まで帰ってきました。
やっぱり乗り換えなしで1時間40分は遠いなあ。