2012年7月13日

ガウランドさんの古墳コレクションが教えてくれたこと

NintokuTomb

先日のNHKスペシャル「知られざる大英博物館」第3集は日本の古墳のお話でした。

今から120年前、明治5年から16年間大阪の造幣局に技師として招かれていた、
イギリス人のウィリアム・ガウランド(William Gowland)さんが、
日本の古墳に関する膨大な資料や出土品を持ち帰り、大英博物館に納めました。
現在その資料を基に、日英合同調査チームが調査を行っているのだそうです。

今では立ち入り禁止になっている天皇や皇族の(ものとされる)古墳ですが、
ガウランドさんは、立入り禁止になる前に日本各地の古墳を発掘・調査して、
当時は高価だった写真や、
出土品一つ一つの寸法などの詳細な記録を大量に残していたんだそうです。

その出土品や資料を元に、今は無き幻の古墳が復元されました。
それはかつて東大阪市にあった芝山古墳で、宅地造成の際破壊されてしまったのでした。
調査の結果、6世紀前半に造られた、この土地の有力者のもので、
大阪平野見渡せる、絶好の場所に建っていたようだ、とこのと。
破壊されちゃって、さぞかし無念だったでしょうね。

次は6世紀後半に造られた、奈良県橿原市の丸山古墳のお話でした。
ガウランドさんは、巨大な丸山古墳に興味を示し、
詳細な記録をたくさん残していました。
その中で、奇妙な記録がありました。
通常、石室は後円部の中心にあるはずなのに、
ガウランドさんの記録ではかなりズレていたのです。
実際に調査してみた結果、この記録は正しいものだとわかりました。



日本では元々上から穴を掘る竪穴式で石室を作っていたのが、
横から通路を作って石室を作る横穴式を採用するようになる。
「大きな石には神が宿る」という「巨石信仰」により、
使われる石がどんどん大きくなっていと、
横から穴を作る距離に限界が出てくる。
小さな古墳ならいいけど、大きな古墳では難しくなってきた。
その結果が見瀬丸山古墳の石室の位置ズレではないか、とのこと。

両立できない巨大古墳と横穴式石室・・・

で、どっちをとる?という議論の末、古代の人たちが出した答えが・・・

おお、これですかぁ!
Ishibutai-kofun Asuka Nara pref03n4592

うーむ。
すごい人のお墓なのに、なんでこんな素朴なのか、
と、前から思ってましたが、そういうわけだったのか。
本当にそうなのだとしたら、かなり納得。
巨石度としては相当なものですもんね。


この番組を見て、
明治政府が立ち入り禁止にするまでは、
誰でも自由に古墳に入ることができたということにまず驚き、
日本の古墳にここまで興味を示すイギリス人がいたことにも驚き、
1000点もの出土品を持って帰っちゃったことにも驚き、
その出土品やら資料が、120年もの間英国博物館の地下に眠っていたことにも驚きました!
これからもっといろんなことがわかってくるのかな?
海外ではなく日本で研究が進められたらいいな、と思うけど、
天皇の墓を調べるなんて、とんでもないことなのかな?

大阪の古墳に囲まれた地域で育っていながら、あまり興味のなかった古代のお墓。
まずは実家の近所から散策してみようかな。


久しぶりに読んでみました。

著:手塚 治虫
出版社:角川書店
発売日:1992/12
Amazon.co.jpで詳細を見る

火の鳥・ヤマト編は、古墳の建設がテーマです。
漫画だと侮ってはいけません、深いんです。
ただ、冒頭「石舞台古墳と呼ばれる できそこないの墓のあとがあります」
という文章があるのですが、実はそうではなかった、ということですかね。


「知られざる大英博物館」関連の記事

→歴史もの記事一覧へ