2014年7月15日

アドラー心理学の本を読んでみた

「アドラー心理学」の本が流行っているようで、よく行く本屋さんで「嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え」という本が売れ筋ランキングに入っていました。
近所の図書館では貸出中だったので、替わりにちょっと難しそうなこちらの本を借りて読んでみました。

原著:Robert W. Lundin
出版社:一光社
発売日:1998/10
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難しかったです・・・
翻訳本ということもあり、まず文章が難解でした。
内容は、一般の人より、心の病を治療するセラピストの方をメインターゲットにされているのかな、と思いました。
ですが、じっくり理解しながら読み進めていくうちに、なるほど!そうなのか!と思うことがたくさんありました。
「心の病」まで行かなくても、人間誰しもそれなりに偏りを持っているものだと思うので、全ての人に参考になる部分があるのではないかと思います。


ちゃんと理解できたかどうかわかりませんが、大きくまとめると・・・

どんなに優秀な人でも心の奥底に何かしら「劣等感」を抱えていて、劣っている部分を補おうとする努力が人を成長させる。しかし、行き過ぎた「劣等感」は、神経症や支配的な性格特性へ結びついてしまう。 
また、他者への心配りと関心を意味する「共同体感覚」という重要な概念があり、精神病者や犯罪者は、「共同体感覚」を発達させられなかった人である。
そのような、人の「ライフスタイル(人生に対する基本的な見方や取り組み方、性格特性)」の大部分は幼少期の体験によって形成されるので、幼少期の記憶、特に1番古い記憶をいくつか思い出すことが、誤った「ライフスタイル」がどのように形成されてしまったのかを知り、正しい方向へ修正する手がかりになる。


もう少し細かく見ていくと・・・


劣等性と補償

人間はみな劣等感を所有していて、優越に向かう努力がダイナミックな力になる
※よい結果につながった例:
  • 『運動選手になれそうにない男子学生が、優秀なピアニストになる』
  • 『つき合い下手な子供が、有名な俳優になる』など
しかし、行き過ぎた劣等感は「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」へ向かう。
  • 劣等コンプレックス」は、人生のさまざまな問題にうまく対処できなくて、問題に向き合わずに避けようとしたり、人や状況のせいにしたりする。
  • 優越コンプレックス」は、自分は人より優れているという妄想を抱いていて、大げさに自慢したり、常に自分が注目の的になろうとする。しかしその行動は根深い劣等感に蓋をしているにすぎない


努力する力の本質

思考、感情、意志などは「最終目標」に向かって決められ、続けられ、修正され、方向づけれられる。
最終目標」は、結局は劣等性を克服するものであり、4、5歳までという早い段階に自分で選択する。
最終目標」が直接理解できなくても無意識のレベルでは作用している。それは虚構(達成不可能)の場合もあるが問題ない。
その「最終目標」に向かって、段階的に、より具体的な目標が見えてくる。


共同体感覚

=共同体への自己の拡張。他者への心配りと関心。
共同体感覚」は、全ての人に潜在的に備わっている能力であるが、社会生活の中で発達させる必要がある。
交際上手であるとか、外交的であるといったことは関係ない。
共同体感覚」の度合いが低いと、犯罪者や精神病者など、自分のことだけに関心を向けている、社会不適応な人になってしまう。


ライフスタイル

ライフスタイル」とは、人生に対する基本的な見方であり、目標と、それを達成するための取り組み方であり、人間のパーソナリティの多くの側面を含むもの。
ライフスタイル」が形成される上で一番重要なのは幼少期の体験。幼少期の思い出(一番古いいくつかの記憶)を分析することにより、その人が発達の開始点で何を手にしたのかが一目瞭然に分かる。その思い出が事実かどうかは問題ではない。(鮮明な記憶として残っていることが大事)


教育への応用

ライフスタイル」は4~5歳までに発達するので、この期間内の子育てが決定的に重要。
うるさくガミガミ言ったり叩いたりするのは、子供の劣等感を強めるだけ。(幼い子供はなぜ罰せられたのか理解できない)改善するように勇気づけることが大事。


自衛傾向

劣等感を克服しようという努力には、自己評価を高めたいという欲求も含まれている。その為自己評価が脅かされそうになると、その脅威から自分を守るため、無意識のうちに、以下のようなテクニックを使おうとする。
  • 言い訳する…「○○したいけど時間がない」「○○だったらもっと○○できたのに」など)
  • 理想化…自分を理想化し、他の人を過小評価する。
  • 過度の気遣い…自分が世話を焼いてあげないと相手が自分で何もできないかのように振る舞う。(結局は相手を見下している)
  • 非難…人のせいにする。責任転嫁。
  • 自己非難…自分を傷つけることで他者を痛めつける。(??これだけはテクニックが巧妙すぎてよくわかりません…)
  • 自殺を企てる、失神、恐怖症、摂食障害など…他者を何とかコントロールするために注目を引くのが目的。
  • じっとたたずむ…何もしない。次に進まないので失敗もしないし自己評価も傷つかない。
  • 障害を作る…それほどひどくない体調不良(徒労、不眠、頭痛など)


以上、興味深く感じたところだけですが、ざっくりまとめてみました。


上記の「自衛傾向」のパート、いかがでしょうか?私は結構痛いところを突かれて胸がいたかったです。特に「言い訳」と「じっとたたずむ」。結局、なんだかんだと理由をつけて、無意識に自己評価が傷つかないようにしていたのかもしれません。
だいたい、みんな自分のことでせいいっぱいで他人の優劣なんてたいして気にしてないのに、自己評価も何もないですよね。

で、誤った「ライフスタイル」を正すにはどうすればいいのかというと、鍵は「共同体感覚」にありそうです。

神経症、薬物嗜癖、あるいは非行のような心理的な問題を抱えている人の基本的な問題の一つは、かれらに共同体感覚が不足しているということです。ですから、心理療法の目標の最優位なものの一つは、アドラーが共同体感覚だと確信した、この生まれながらにある可能性を発達させることです。(P177-P178)
重要な手順としては、その人が所属しているし、他の人々によって受け入れられていると感じるのを援助することです。(P190)

共同体感覚」って「人は皆大きなネットワークの中で様々なものと相互に関わりあって存在しているのであって、自分一人では存在できない。」という、仏教の「縁起」のようなものかなと思いました。

では、自分が「共同体感覚」を発揮するには具体的にどうしたらいいのか考えてみました。「他者への心配りと関心」って、一歩間違えると上記「自衛傾向」のパートの「過度の気遣い」に向かいそうです。「他人を過度に気遣うことで実は他人を見下している」ってやつですね。
そこで、ふと、以前読んだ「希望のしくみ」という、養老孟司さんとの対談本の中で、スマナサーラさんという、スリランカの偉いお坊さんが言っていたことを思い出したんですけど、これがぴったりなんじゃないかと思いました。

自分の生き方が、他人の何かの役に立っていると思えれば、そこで生きる意味が成り立ちます。
「希望のしくみ」P101

自分が何かの役に立っているんだと思えれば、自信を持てるようになるし、歪んだ劣等感から解放されそうです。

ただ、何かをやるときに「人の役に立ってやるぞ」という姿勢は、ものすごく不自然で気持ち悪いですよ。<中略>、すごく迷惑なんですね。あくまで自分のためにやるんです。それでいいんです。でも、社会の役に立たないものは成り立たないだけ。だから何かを始めるときに、気負わなくてもいいんです。楽しんでやればいいんですよ。
「希望の仕組み」P178

自己満足のための親切の押し売りになってはいけないということですね。


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