スリランカ仏教会長老アルボムッレ・スマナサーラさんと養老孟司さんの対談本です。
仏教的に、人間について、日本人について、生き方について書かれています。
対談本なので、すんなり読めました。
スマナサーラ長老が毒舌です。
毒舌ですが、耳障りのいい事ばかりいう人より信用できる気がします。
まず、お二人に言わせると、「日本人は生きていない」のだそうです。
予定通りの人生は生きていることにならない。死んでいるんだということ。
P74
我が道を真っ直ぐ行きゃあいいじゃないか、とこっちは思うわけ。パックツアーなんかじゃなくてね。
P64
すべては常に変化しているんです。だから、考えたようになるわけがないんですよ。
P79
これはちょっとわかります。
先のことばかり考えてしまいますが、結局考えた通りにならない事が多いです。
周囲の状況が変わったり、世の中の流れが変わったり、単純に自分の気持ちが変わってしまったり。
お釈迦さまは、何かをやって成功したら、次にはそれを「捨てなさい」とおっしゃいました。<中略>何事にも執着してはいけません。得たものは捨てないさい。そうしないと、無常という真理に逆らうことになるから、現状維持すら無理なんです。捨てなければ、よりよいものに交換することはできないんですよ。
P82
過去に執着してもダメ。
先のことばかり考えても無駄。なぜなら「一切は無常であるから」。
先のことがわからないからこそ「希望」がある。
というわけです。
ふむふむ。なるほど。
でも執着をするな、というのはは非常に難しいです。
現状維持への欲求は人のサガですから。
自分の生き方が、他人の何かの役に立っていると思えれば、そこで生きる意味が成り立ちます。
P101
ただ、何かをやるときに「人の役に立ってやるぞ」という姿勢は、ものすごく不自然で気持ち悪いですよ。<中略>、すごく迷惑なんですね。あくまで自分のためにやるんです。それでいいんです。でも、社会の役に立たないものは成り立たないだけ。だから何かを始めるときに、気負わなくてもいいんです。楽しんでやればいいんですよ。不自然で気持ち悪いんだそうです。
P178
確かに、自分が何かしてもらうとき、
「こんなに大変だったけど、あなたのために精一杯やりました」
なんて言われると、申し訳なくて全然喜べません。
自己犠牲によってではなく、まずは自分のため、ということが前提で、
その上で周囲にも楽しみや喜びをわけてあげられたら最高、というわけですね。
最後に、一番こころに響いた言葉
自分が痛くても相手が喜んでいるんだからいいじゃないか
P100
自分だけが損してる気がする…
なんていう思いが湧いてきたときに、この言葉を思い出すと前向きな気持ちになれそうです。